緊急手術…そして集中治療室へ
定期通院をした日、五反田駅周辺を散歩し帰宅。翌日から足が大きく腫れあがり痛みを感じていた。日が経つにつれて、発熱や倦怠感、吐き気、食欲不振などの症状が出て悪化していき、最終的には座っていても肩で息をするほど体調が悪化していった。街の医者の風邪の診断は間違っていると感じていた。
適切な医師の診断を受けなければ死んでいたかも
定期通院から8日後、風邪の診断を下した町の病院へは行くのをやめて、セカンドオピニオンとして定期的な通院をしていた総合病院へとバスで向かった。この後診断を受けた医師からは、この時「救急車を呼んで来てもよかったのに…」といわれるくらいの状態だった。
症状を伝えると循環器内科で緊急で診察を受けることになり、まずCT、レントゲンを撮影したところで心筋梗塞(右心不全)の疑いありという診断。その後心臓エコーでの確認を終えて、最終的に急性心筋炎という診断が下りた。
この病院では緊急時の体制(ICU)が整っていないということで、設備や人の整った系列の病院へと救急車で搬送されることになった。痛みはなかったのでついつい自分で歩いたりしてしまうのだが、とにかくベッドに寝ているように促された。もう心臓が突然発作を起こして止まってもおかしくない状態で、救急車にも医師が同伴して緊急事態に備えている状況だった。
救急車で転院先の病院に運ばれると、そのまま手術の準備のため身ぐるみ剝がされて尿管に管を挿入される。このとき「あぁ死ぬかもしれない緊急事態なんだ…」と、どこか他人事のように達観した心境になってしまい、余計な抵抗などせずに言われるがまま、「まな板の上の鯉」のような気分だった。この時家族にはあと1日遅かったら手遅れだったかもしれないと説明があったそうだ。(本人は聞いてない。)
鼠径部両側から太めの針で採血。そのまま手術に入って採血した鼠径部両側と、肩口からカテーテルを計3本通して、心臓をサポートするポンプを挿入した。IABP(Intra Aortic Balloon Pumping/大動脈内バルーンパンピング)といわれる手術だった。くしくも2024年6月14日に公開された大泉洋氏主演の映画「ディア・ファミリー」のメインテーマとなった手術法である。
局所麻酔のみだったので意識はあり、手術途中息苦しくなる瞬間もあったが、ぼんやりした意識ではあったが体感では1時間ほどで手術は無事終わり、そのままICU(Intensive Care Unit)へと移された。
おそらく予備のカテーテルも含めてだと思うが、鼠径部から2本、首から1本管が通っている状態で、立ち上がることはおろか寝返りも打てない仰向け状態で固定。鼠径部を動かせばせっかく挿入した管を折ってしまう可能性もあったので、しばらくは自分の意志で足をベッドに軽く括り付けてもらっていた。
鼻には酸素マスク、左手には点滴の管、体には心電図、指にはオキシメーターなども装着され、体中に管がついている状態。術後も常に脈拍は100前後で、寝汗はひどく1日中汗をかいている状態が続き、何かあればすぐに対処できる状態に置かれた。ピッ…ピッ…ピッ…という心電図の音と、プラスチックの袋が心臓で膨らんだりしぼんだりしている音が耳に残っている。
徐々に回復しHCUへ
定例通院から9日後、朝目が覚めると脈拍は100から90に下がり、日中には80と下がっていき、冷や汗は止まっていった。医師にも心臓の送り出す力も少し戻ってきたようで安心と言われたが、排泄については全て看護師さん任せの寝たきり生活である。おっさんを見守り身の回りの世話をしてくれた看護師さんたちには感謝しかない。
基本仰向けの体制のままで何もできないが、手や視線を動かすことはできた。無料のインターネット回線を借りることができてスマートフォンでネットサーフィンができるようになったのは救いだった。テレビは興味のないものしか放送していないし、危うく暇死にするところだった。
10日後、もう冷汗は完全に止まっていた。食事は手術前日からまとも採れていない。術後も点滴での栄養補給に頼り、すでに4日何も口にしていなかったが空腹感はなかった。水分は水のみ飲むことができたがのどは軽く乾く程度だった。
状態を安定させるためにステロイドや血液をサラサラにする薬など、複数の薬を投与していて、眠ったり眠らなかったりの状態が続いた。すると感覚が妙に覚醒したような状態になり、不思議な体験をする。この日は特に目をつむると看てくれている人や覗いている人の視線を感じたり、現実の世界とは別の世界につながっているような感覚があったのを覚えている。幻覚なのかもしれないが不思議な体験だった。
11日後、朝3時台に私が寝返りを打ってしまったようで、看護師さんが触れているのに気づいて目が覚めた。夢の中で右足を曲げた記憶があったが、体も動いて器具を折ってしまったようて出血を止めてくれていた。血液をサラサラにする薬を投与していることもあり、鼠径部にある大腿動脈からの大きな出血は場合によっては命取りになるが、幸い心臓の補助器具などは機能していて大事には至らなかった。
この日の午前中には症状も安定したことで、もうバルーンの補助がなくても大丈夫な状態まで回復し、鼠径部、首から入れた管については取り外された。取り外すのは慣れたものでベッドの上で数分で取り外された。
しかし鼠径部の血管(大腿動脈)は太く、止血のために強く固定されているので、まだ歩くことはできなかった。午後には1段階監視レベルを下げたHCU(High Care Unit)へと移された。この日も食事はとれなかった。
寝たきり解除から検査ラッシュへ
定例通院から12日後、午前中には止血バンドが取れて、歩行することができるようになった。5日に渡ってベッドに寝た切りだったので、立とうとするとふらふらしてしまう。むくんでいた足はすっかりふにゃふにゃでほっそりとしていて、自分の体が長期間に渡ってむくんでいたこと、不健康な状態だったことを実感した。
午前中には検査が詰まっており、朝食は食べられなかった。車いすで運んでもらって視力検査、眼底検査、眼圧検査、管を挿入していた傷の検査など、ステロイドによる副作用が出ていないかチェックされた。幸い異常はなし。検査が終わり6日ぶりに昼食をとる許可が出て、少し遅めの昼食をいただいた。
青椒肉絲、ほうれん草とベーコンのソテー、清汁、梅干し、白米、杏仁豆腐。塩分は1日当たり6gに制限されているので、この食事は塩分3.4g程度でカロリーは584kcal、料理の味には定評がある病院食だし久しぶりの食事は美味しかったが、やはり全体的に薄味の食事は物足りなかった。食べた後は50mだけ院内を散歩した。
13日後、心電図が大型の固定設置型から、ポータブルタイプに代わった。こういった医療用センサー類は本当に日本光電製が多いなとついつい株式投資のことを考えてしまう。
酸素ボンベと点滴はまだ装着された状態だったが、輸液スタンドに載せられるポータブル式を利用できるようになったおかげで、スタンドを押しながら移動できる状態になった。点滴系機器はTERUMO製を目にすることが多い。
検査の結果、心臓には血栓はなく順調に回復しているようだった。
緊急事態と検査の追加
定例通院の日から14日後、毎日飲んでいる水分の量を管理するように指示があった。飲みすぎると体がむくみ、心臓のポンプ機能に負担がかかるため、2ℓ/日以上は飲まない方がいいようだ。下のフロアに併設されたコンビニエンスストアに車いすで連れて行ってもらい、医師の許可を得て久しぶり果物とプリン、コーヒーをいただいた。
造影剤の使用については同意書を書いて、長時間のMRI検査を行った。以前通勤災害で転倒した時にMRI検査をしたが、その時の記憶では1回数万円はかかるはずだ。多額の医療費をかけても徹底的に検査してもらう必要があるので躊躇はなかった。
15日後、この日はレントゲンとCT検査を行った。とにかくありとあらゆる検査をしていく。回復も順調で歩くのにも支障がなかったので、この日から一般病棟の大部屋に移った。ICUやHCUに滞在する時間が長くなれば、その分入院費もかさむ。病状に問題がないならさっさと移った方がいい。
部屋を移動してトイレに行って手を洗っているとき、のどの奥に違和感があり、締め付けられるような痛みが生じたがすぐに治まった。なんだろう?とは思ったが、これはのちに発作のようなものだとわかる。
16日後、この日は尿検査、便検査、血液検査(8本)を採取、骨密度の測定とたくさんの検査があった。アレルギー体質が今回の急性心筋炎の引き金になっている珍しい症例で、アレルギー症状の改善に今までよりも踏み込んだアプローチが必要と判断されて、抗原検査が追加された。
この日、回復は順調ということで、酸素チューブが取り外されて、負荷のないエアロバイクを漕いで体力のチェックをして、一般病棟に移ることになったが、移動した後トイレで手を洗っている時にまた頸動脈を締め付けられるような痛みが発生して、今度は立てなくなってしまった。
たまたま通りかかった看護師さんが気付いてくれて、車椅子で部屋に運んてもらって横になり、心電図取るが不整脈が発生していた。この日は医師が少ない休日だったこともあり、当直の先生に診てもらうのに時間がかかったが、頸動脈の痙攣とのことでひとまず症状は治まり、心臓エコーの様子も異常なしで、血液をサラサラにする薬の投入量が減少した。
この日解禁予定だったシャワーもお預け、移動は全て看護師さんに車いすに乗せてもらうよう医師から指示された。この発作をきっかけにして、体のあちこちをレントゲンやCT、MRIで調べていった結果、さらにいろいろなことが判明していく。
いびきは自覚なく他人の恨みを買う迷惑行為
定期通院から17日後、この日はとてもよく眠れた。入院前の体のむくみがなくなり、ステロイドの投与によってアレルギー症状も緩和されたため、心臓以外は入院前よりも快適な体になっていた。お昼前にはまた軽い発作があったが、倒れることはなかった。鼻をかんだら鼻血が出て止まらない。血液をサラサラにする薬を実感した。
大部屋は4人での共同生活になるが、循環器科に入院してくる人たちのほとんどは寝ている間にいびきをかく。1週間ほどの間に同室になったのは9人いたが、8人は迷惑になるほどのいびきをかいていた。この日は2人ひどいいびきをかく患者が同部屋で、交互にいびきをかくのでとても寝られなくなって、別の部屋で寝かせてもらった。
私の父もひどいいびきをかく人だったので良ーく知っているが、和室の民宿に泊まっていた際、翌朝になって隣の客にきつく睨みつけられた記憶がある。いびきをかく本人は他人の迷惑など知りもせずに寝ていて、にらみつけられても何食わぬ顔をしている。いびきは自覚なく他人を音の暴力で傷つけ被害者だけが損をする騒音妨害行為だ。
実際に病院でいびきの騒音を計測してみたが、80~90デシベル程度の音を発している。これは工事現場の騒音に匹敵する騒音だ。カーテンしか仕切りのない同室でこんな騒音が毎日続くと、どうやったら安眠できるだろうか?あいつの口をどうにかして閉じられないかとイライラして悪い想像ばかりしてしまう。人を暴力行動に駆り立てるくらいの恨みを買う覚悟は持ってほしい。
大部屋に入院する前にいびきをかかないためのレクチャーくらい受けるか、自ら個室に入ってもらいたいものだ。いびきをかく人は枕の位置が悪い。私も大人になってから父に改善させたが、口を閉じて寝る姿勢や枕の使い方を理解すれば、無呼吸症候群のような病気でもない限り、ひどいいびきはかかずに済む。
この日は睡眠不足のためか、全部で3度の発作のような症状が出たので、心電図を計測してもらったりいろいろできることはやってみたが、不整脈は出ていなかった。どうも自分の感覚ではトイレや怒りなど血圧が上がると痛みが出るような印象を受けている。
朝から採血を5本、点滴や採血で注射針で腕は痕だらけ。発作が出たことでさらに検査が追加になり、レントゲンと頸動脈のエコーの撮影が行われた。この日頸動脈の痙攣発作の対策として血管を拡張する薬が追加されたと思う。この頸動脈のエコーの撮影をしたことで、もう1つ重大な事実が判明する。運が悪ければ二度死んでいたかもしれなかったのだ。
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