人は何のために働くのか?労働は人生の手段の1つでしかない

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労働は誰のため?何のため?

日本人の多くは子供の頃から何となく社会の敷いたレールに沿って、小学校、中学校に通い、高校や大学を卒業して、社会に出ていく。東京大学や京都大学などのトップエリートでも卒業後多くは公務員や会社員となり社会人としての生活が始まる。

中には学校を途中で通うのをやめて働きだしたり、会社員にはならずに無職でいる人もいれば、起業をして自分のやりたいことを追求していく、社会の敷いたレールに沿わずに生きる人もいるだろうが、私は何となく前者の会社員を選択した。

私はいわゆる氷河期世代に当たり、同期の中には3月になっても就職先が決まらない者もいたが、私自身はSPIのスコアが高かったせいか、あまり苦労もせずとある大手電機メーカーの子会社から3つほど内定を得て、その内実家から通える転勤のなさそうな1社に就職した。就職は主体的な理由はなく、適性のありそうな職種に、周囲の流れの乗って何となく就職しただけだった。

会社のため?

新人研修期間を終えて希望ではなかった部署へ配属され、私はエンジニアとしてキャリアをスタートしたが、1ヶ月もしない内に子会社の歪な構造を目の当たりにして失望した。

創立15年にも満たない若い会社だったが、社内には活気がなく、前向きに取り組む姿勢が見えなかった。その理由は親会社からの出向社員が管理職を占め、親会社からドロップアウトしてきた名ばかり管理職がそこら中におり、すべて親会社の言いなりになっている、あきらめにも似た雰囲気だったと思う。仕事をする上での社内政治も面倒だったし、子会社の利益を搾取する親会社との関係は見ていて吐き気がした。1年も経たずにやる気を失った。

10年ほどエンジニアとして働いた後、事務的な職種へ移り、公的な認証の取得や維持業務に10年ほど携わってきたので、会社員として働くスキルは身についているが、私自身も会社員生活のストレスで体調を崩していて、転職活動をする余裕はなく転職は考えていなかった。2度の休職を経験したが、今となっては別の会社に転職しても働くこともできた気がするし、違和感を感じた時点で早くに転職しておくべきだったと思う。

20年以上1つの会社で働き続けてきたが、近年親会社の不正隠ぺいが明るみに出て、もともと低かった会社への忠誠心が急下降した。もはや会社のために働きたいと思うどころか、こんなところでは働きたくないと思うようになった。そんな腐った会社で働いている自分も嫌いだった。つくづくサラリーマンには向いてないと思う。

誰かのため?

会社のために働きたいとは思わなくても、自分の周囲にいる人たちが困っていたり、お世話になった先輩や同期、頑張っている後輩、同じチームで働く人たちのために力を尽くすというのも働く理由にはなった。私自身は周りにいる人たちを準家族のように考えて働いていた。

だが、私が彼らを大切に思っていたとして、相手はどう思っているだろうか?同じ部署に所属している人たちの中で会社を辞めても関係が続く人なんて何人いるだろうか?私が辞めても連絡を取り合う人間は100人中5人もいないだろう。

彼らはしょせん赤の他人であり、同じ職場にいるから協力し合えているだけの薄い人間関係だ。そんな他人のために自分の体調を犠牲にし、不正を働く会社の利益のためにやりたくもないことを我慢してまで尽くす必要があるのだろうか?

私が体調を犠牲にして働いたツケを赤の他人が責任を取ってくれるはずもない。このまま体調を犠牲にして定年まで働き続けたとしたら、肉体や精神を壊して最悪死ぬかもしれないし、よくてもボロボロになった体では、定年後には何もできない余生が待つだけだ。

人生を充実させるには、まずは健康が資本となる。時間も限りがあり、老いれば老いるほど体は動かなくなる。誰かのために自分の体調や時間を犠牲にするのは間違っていると思う。それは年を重ねて残りの人生が短くなればなるほどそう思うようになった。

家族のため?

会社が嫌でも、人間関係が悪くても、家族のためならと働き続けている人も相当数いると思う。家に帰れば奥さんや子供がいて、愛する家族のために定年まで働き続け、孫に囲まれて老後を過ごすのも充実した人生かもしれない。子孫を残すというのも生物としての幸福の1つだ。

だが、それも健全な肉体や精神があってこそだ。死を考えるほど精神的に追い込まれたり、日々睡眠時間を削って肉体を酷使しながら働くことで、死んでしまうくらいなら、そんな仕事はやめて、家族で話し合い別の方法を考えるべきだと思う。家族との関係が悪いならなおさら自分を犠牲にする必要はない。

私自身は都内の利便性の高い場所にある実家から会社に通っている40代半ばの独身だ。両親はそれぞれ私が介護を必要とするような健康面の問題は抱えていないし、経済的にも自立しており、親のために働く必要はない。

運よく40代半ばで良縁に恵まれて子供を授かることも可能かもしれないが、子供が大学を卒業するころには定年を迎えるとなると結婚や子育てはもはや現実的ではない。特に養わなければならない家族もいない。つまり自分のため以外に働く理由がない。

お金のため?

仕事はお金を稼ぐためと考えるのが一番わかりやすい。人間らしい生活をするにはお金は必要不可欠なものだし、家族を養うのには更なるお金が必要だ。では自分が生きていくのに必要なお金はどのくらいあればいいのだろうか?

都内の一等地に大きな家を構え、ブランド物などを身に着け、毎週高級レストランへ外食にいき、月に1回は旅行へ行き…といったような一般人からかけ離れた生活をするのは、一般的なサラリーマンの稼ぎでは一生働き続けても無理だろう。

人間が必要とする金額はそれぞれが望む生活によって大きく変わる。家族を養い日々の生活費が月に50万円必要なら、税金を考慮すれば年収は1000万円弱は必要になるだろう。これが残り40年続くなら、4億円という金額になる。だが住む家に困らず誰かを養う必要もない独身が、慎ましく生きていくだけなら月に10万円はかからないだろう。月10万円の生活なら年収150万円、40年で6000万円もあれば済む。年金を考慮に入れればもっと少なくて済むだろう。

どんなにお金があっても、時間があっても、それを有効利用するには健康な肉体と精神が必要だ。健康を犠牲にして4億円稼いでも、それを使いきれずに死んでしまうなら意味がない。自分の人生を充実したものにするためにお金がある程度必要だが、お金を稼ぐことは目的ではない。自分が本当に必要な金額がわかれば、それ以上無理して働く必要はないのだ。

自己実現のため?

マズローの欲求階層説には5段階の欲求があるといわれている。

  1. 生物として最も本能的な欲求である、食事や睡眠、排せつといった「生理的欲求」
  2. 身の危険を感じるような状況から脱したい、安全な場所に住みたいという「安全欲求」
  3. 家族や友人所属コミュニティへの所属欲求を満たしたい「社会的欲求」
  4. 仲間や世間に自分の実力を認められたい「承認欲求」
  5. 自分の能力を活かしてさらに成長したい「自己実現欲求」

会社員として働く目的もこの5段階に照らし合わせるとわかりやすい。我々は衣食住を満たされた人間らしい生活をしたい(生理的欲求)し、身の危険を感じるような生活はしたくない(安全欲求)。そのためには身分やお金が必要だ。

また孤独になりたくない、誰かに必要とされたいという社会的欲求もあるし、仕事で成果を上げて、他人から認められたい、昇進したいという承認欲求もあるだろう。それらすべてを満たす、もしくは必要としなくなると、最終的に「自己実現」したいという欲求を満たすために働くことになる。

例えば大谷翔平選手を見ていると、ロス・アンゼルス・ドジャースとの1000億円という契約も受け取りは先送りにし、日本全国の小学高や震災などへの寄付なども積極的に行っており、お金に執着しているようには見えないし、いたずらに名誉を求めることもない。

豪華な食事や高価な買い物をしたり、恋人と遊んだり、といった多くの若者が求める欲求などには目もくれず、ただ「世界最高の野球選手になりたい」という目標のために日々の生活をすべて野球のために費やしているストイックな生活に見える。まさに「自己実現欲求」を叶えることを人生の目標にしているのだろう。

足るを知る

生きていく上で、生理的欲求や安全欲求は満たされる必要があるし、孤独にはなりたくない、誰かに認めてもらいたいという欲求も誰しもが持っているものだ。だがこれらの欲求を満たすために行動していると人は歪んだ行動をとるようになっていく。

自分が本来必要としている金額以上に際限なくお金を求めたり、ため込んで使わなかったりする人もいれば、誰かとのつながりを求めて他者に依存していったり、SNSでたくさん「いいね👍」をもらおうとしたり、フォロワーを増やそうとして悪ふざけや虚構を投稿し続けたりしてしまう人もいる。

有名になること、地位や名誉を求めすぎて過剰に自分を大きく見せて身を滅ぼしてしまう人もいる。これらは本当に自分を満たすことを知らないからこそ起こる依存症と言っていいだろう。私もこれらすべてが満たされているとは感じていないし、浅はかな行動をとることもある。

これらの依存症にならないためにも、本当に叶えなくてはいけないのは「自己実現欲求」であり、それは自分が本当に求めていることは何なのかを自問自答して見出すものであり、他者からの評価は基本的に関係ない。日々健康で生きていくのに困らない食事と睡眠、安全な家があり、生きていることを幸せだと感じられることに日々時間を費やすことが必要だ。

自己実現欲求を満たそうと努力すれば、それはいつの間にか仕事になり、地位や名誉がついてくるということもあるし、自然と必要なお金は得られるもので、必ずしも大金が必要なわけではない。働くことが人生ではない。自己実現欲求を満たす手段の1つとして仕事があるのだ。

地位や名誉も興味はなく、大金は必要ない。養わなければならない家族も求めていない。日々嫌なストレスを感じずに健康と生きていけるだけのお金と環境があって、適度な人間関係と充実した家族との時間があり、自由に生きることが私の幸せだ。

私の第1目標は健康状態を回復することだ。くだらない上下関係や人間関係に悩まされるのはもう嫌だし、健康で慎ましく自由に生きるのに必要最低限の資産と環境が得られたので、40代半ばにして会社を辞め、早期リタイヤすることにした。ずっと遊んで暮らしてもいいし、遊び疲れたらまたちょっと働いてもいいし、あとは好きに生きることにした。

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